長年信じてきたもんをそう簡単に覆されたくない思いが根底にあんだろうなあ>テレビの人

『(中略)ネットを使ったことがないと思われる人を中心に、「テレビ=マスメディア=良識ある報道、精度の高い情報」対「インターネット=個別メディア=無責任でいい加減な情報」という構図で話したがっていた。しかし、テレビ局だって新聞社だってインターネットを使っているわけで、テレビ対インターネットという構図はまったく的外れなのだが……。
 メーンゲストですら「ネットにはいい加減な情報が……」というような発言をしていた。議論すべきなのはテレビがこれからどうネットを使うのかという点であって、ネットの中のいい加減な情報について語る場面ではない。ネットに対するあまりの認識不足に、正直悲しい気持ちになった。

■制作者の危機感も薄く
 制作者の方々の現状への危機感が薄いように感じたが、ご覧になった方はどうであっただろうか。例えば、決まった時間にテレビを見るということが今後減っていくと答えたのは、制作者9人のうち、わずか1人。残りの8人は今後もタイムテーブルに合わせて視聴者が番組を見てくれると思っているようだった。
 視聴者代表のどなたかが言っていたような「昔と比べてテレビ番組の質が下がっている」という話では決してない。単にテレビの他に面白いことがたくさん出てきているのだ。テレビしか娯楽がなかった時代ではないのだから、必然的に、決まった時間にしか見られない番組は敬遠される、というか相手にされなくなる。
 絶対価値が変わっていなくても比較優位性が薄れているということに、テレビの制作者たちが感づいていないことは正直ショックであった。
(中略)
もしこれが政府主催の研究会や懇談会、あるいは諮問委員会だったら、と思うとぞっとする。つまりネットに対する誤解や、基本的に「使ってない」人たちがメンバーになっていると話が全く違う方向にいったり、本質的な議論にならないということだ。
 よくある政府関係の集まりでは、バランスをとると称して、いろいろな立場の人をメンバーにするのが常道だが、ことネットに関する限り、使ってない人には全く分からない利便性、効能をきちんと議論する必要がある。
 特に、未来に向かって「これから」を論じるときには、今あるものを廃止したりなくしたりするわけでない限り、新しいものを理解できずに恐れている人を議論に入れるのは意味がない。』(NHKの討論番組で驚いたネットに対する認識不足より抜粋)

最近、「ネットはすべて無償」と主張する利用者が増えていることにも異議を唱えたい。個人のブログでも記事の無断全文引用などが目立つが、法改正がそうした風潮を改める契機になることも期待したい。重要なのは著作権文化の醸成である。

 これは、それはそうなんだけどと留保して、2つ疑問に思うのだよね。一つは、「記事の無断全文引用」というときの「記事」の意味合いがよくわからない。つまり、記事って全部が著作物ではないと思うのだけど。もう一つは、外信見ていると、ワシントンポストニューヨークタイムズとかのパクリとしか見えないのがけっこうあるんだけど、あれってなんなの。』(finalventさん日記の「日経社説 著作物の適正な流通図れ : NIKKEI NET(日経ネット)」より抜粋)

上記『』内の最初のほうは深町さん経由のです。ネットなんてウソばっかなんでしょ、みたいな考えってネッツやってる人でも文章系のサイトをあんまし読んでない40代以降の人にかなり多いですよ。夫人とか家の人もそうだし。つーかさー…無責任でいいかげんな情報なんてネッツ以前に会話のなかはおろか巷にあふれてるけど皆それなりに判別つけて暮らしてんじゃん。それがなんでネッツになるととたんに判別つかなくなる害悪だみたいな論調になるのか。テレビや新聞なんて公表しないことのが圧倒的に多いってのにそっちを全面的に信じきって疑わないほうがどうかと思うけどな。むしろネッツ上でいろんな情報みてる人のが怪しげなネタを見分ける能力に長けてる=信憑性を嗅ぎ分け慣れてるってことで、テレビ報道をわけもなく妄信するよかよっぽどマシな気もするけど。ウソ情報に対する耐性がぜんぜんないお気楽な人のほうがあぶねーだろ。テレビネタといえば世界のお天気お姉さんが売春婦スレスレの風情な件もまァおもしろいですけど、ポンニ女子アナ界の誇るクリステルたんの高貴なお姫様に謁見してるかのような目の保養感にはだれひとりかなわんな。ちょっと美しいすぎるだろあの人。深夜っていう時間帯も手伝って1日の疲れがイイかんじに癒されます。テレビの強みは美人女子アナだな。ネッツネタにもどしますが、記事の引用禁止とかはブログ運営会社からのメールだの映画パンフレット(ディファイアンスのが絶対禁止みたいに正し書きされてた)だので顕著ですけど、こういうのは要するに当人から許可をとれってことなの?なんか前のブログでのことといい引用抜粋断固禁止!とか本当バカバカしいとしか思えなくてなあ。改変したりそれで商売しちゃったなら目くじらたてるのもしょうがないけど、単にこの文章どうよ?みたいなふうに個人的におもしろおかしくやるだけのことで訴えてやるぅぅ!みたいな真剣に怒り狂うおとなぶった人はいまだに単なるケツの穴の小さい人にしか思えない。引用元記載ガチ指導で済むことじゃん。結果的に宣伝にもなるんだし。まー団体としては民間の書きモノをいちいち精査するような手間を省きたくて禁止ひな型みたいのを決めてるんでしょうけど、個人でたのしんでる程度のもんに侵害どうのとか言い出すのは真剣に向き合う対象を完全にはきちがえてて単なるバカにしか思えない。そんなことより大学図書館だのネッツ会社だのの全ページ公開のほうをどうにかしたほうがいいんじゃないんすか?
ところでこのとり(低能蜂おばさん経由)とか卵が食われた件とか「図体でかい+性質がのんき」な生き物はたいていが滅びそうですが、つーか自然のキビシさのなかでは生きられないからこそ人工的に孵化させたりしてるっつーのになんでまた自然に帰そうとかすんのかがよくわからない。死ぬに決まってんじゃん。1匹2匹食われた程度はどうってことないくらいウジャウジャ増やしてから放したほうがいいのでは。絶滅した生き物の本とかみてるとどの動物も性質がやさしかったり体の一部がむだにでかすぎたりして、長く生きながらえる上での致命的な欠陥をもってる場合が多いんですよね。小さめですばしこくてずる賢いやつが長生きするっぽい。
 
ぜんぜん関係ないんですけどなんか某作家さんのサイン会があるからDVDを買って整理券をとれ、著作はだめだからな、ぜったいDVD買えよとかいうメールが届きまして、その日はちょっと買い出し日なんでもともと行けないんですけど、なんか外人さんが主催してるみたいで翻訳機にかけたそのままっぽい文章だった。そもそもサイン会つーのはその作家さんのゴリゴリのファンがいくべきであるという考えなのでその人の著作をあんまし読んですらいないおいらが行くのは失礼にあたると思うし。そもそもトークショーについてもそういう信念でいたのでつい数年前まではものすごい相反する葛藤をもって赴いてたものですが、ここ1〜2年は何回かいってるうちになんだか慣れてきました。でもいまだにちょっと申し訳ないようなスマン気はあります。よこしまな気分を抱いてみにいくとかは作家で売ってるその人にとって侮辱じゃんか。ジャマしたくないし負担になりたくないからそういうのは極力関わりたくない方向なんですけど、行かないと先に進まないから行かざるをえないみたいなすごい葛藤が毎回あって。